デス・オーバチュア
第21話「闇の第2楽章」





闇の中、ピアノの音だけが響き渡る。
「行くのかい、姫君?」
少年はピアノを弾く手を休めずに、話しかけた。
「間奏はそろそろ終わりでしょうから」
『闇』が応える。
「インテルメッツォ(間奏曲)か……」
「スレイヴィアの件から早三日、そろそろ次に移っていただかないと……いつまで経っても、わたくしの出番が回ってきませんので……」
「君の出番か……そこまで物語が、彼女の命数が尽きないといいね」
少年は微笑を浮かべた。
「では、わたくしの出番はまだまだ遥か先ですが、存在を忘れられないようにそろそろ顔を出しに行って参りますわね」
「フッ……素直に愛しいあの御方に会いたいと言ったらどうかな?」
「フフフッ、わたくしはそんな可愛い女ではありませんので」
闇は笑うように震える。
「では、わたくしはこれで失礼致します……ごきげんよう、皇子様」
闇から気配が消え、闇はただの闇へと戻り、少年だけが一人残された。
「君はまだいいよ、姫君。ボクこそ出番があるのか怪しいよ。なにせ、まだ序曲すら終わっていないんだからね……」
闇だけしか存在しない空間に、少年の弾くピアノの旋律だけが響き続ける。
「せめて、序曲だけでも弾き終えることができるといいね」
少年は自嘲的な笑みを浮かべていた。



クリスタルレイク。
ケセドは一人、一糸纏わぬ姿で湖面にぷかぷかと浮いていた。
コクマが姿を消してから何日経っただろう?
そういえば、少し前にネツァクが帰ってきたような……いや、その少し前というのはいつだ?
それからまた何日か経ったような、経っていないような……そういえばネメシスもネツァクの少し後にここを通ったような……通っていないような……。
「……まあ……いいです」
全ては細かいことだ。
とても気持ちいい。
こうしていつまでもぷかぷかとここに浮いていたかった。
「…………ん」
ケセドは僅かに空気が変わったのを感じ取る。
次の瞬間、無数の黒い光の羽が出現し旋風のように渦巻いた。
「……Dですか」
黒い羽の旋風がはれると、フリルやドレープが多用された黒一色の洋服、一般的にゴスロリと呼ばれる格好の少女が姿を現す。
「ごきげんよう、ケセド様」
ゴスロリ少女Dは黒い唇を微かに歪めると、上品に一礼をした。
「あなたが来るまではごきげんでしたよ、D。あなたが居ると全てが暗くなって困ります」
先程までとても良い天気で、ケセドは水浴びと同時に日光浴を楽しんでいたのだが、Dの出現と同時に、太陽は黒雲に隠され、闇が辺りを包み込んでいる。
「ティファレクトよりも、あなたの方が余程吸血鬼のようですね」
「ティファレクト様は真昼だろうと堂々と外を歩く方ですからね。不健康という意味では、わたくしの方が上かも知れませんわね」
Dは妖艶に笑いながら応えた。
ケセドの知る限り、このDという女はけして日の当たる場所に姿を現さない。
常に日陰に、闇か影の中にのみ存在する女。
そして、確かにこの女には闇が誰よりも良く似合っていた。
「そういえば、しばらくあなたの姿を見ませんでしたね、D」
「少しばかり里帰りしていましたので」
「里……ああ、そういうことですか」
ケセドは納得したような表情を浮かべる。
「……ところで、私に何か用ですか、D?」
ケセドは極めて淡々と尋ねた。
自分とDは特に仲が良いわけでも、逆に悪いわけでもない。
Dはあくまで、ファントム十大天使の一人イエソド・ジブリールの客分であり、特に親しい繋がりはなかった。
だが、ファントムの人間の中ではどちらかというと嫌いじゃない方に属する。
もっとも、他が好きになれない人間ばかりという理由もあるかもしれないが……。
「少し運動しにいきませんか?」
Dは蠱惑的な笑みを浮かべながらそう言った。



タナトスは屋敷の中庭で、一人大鎌を振り回していた。
僅かだが頭痛がする。
やはり、明け方まで飲み明かしたのは良くなかったようだ。
「……しかし、上手く話をはぐらかされた気がしないでもない……」
ルーファス自身のことを訪ねたのに、いつのまにか神剣やガルディア皇国の話に上手く話題をすり替えられていた気が後になってしてきたのである。
ちなみに、ルーファスは明け方に酔い潰れたタナトスが、昼頃目を覚ますと、すでにどこかに消えていた。
いくら十年来の隣人とはいえ、勝手に入ってきて、勝手に帰ってしまうのは、礼儀的にどうかとも思う。
「いや、そもそもあの男に人間の礼儀だとか常識を求めること自体間違っているかもしれない……なっ!」
タナトスが地面に叩きつけるように大鎌を振り下ろすと同時に、進行方向に存在した大木が真っ二つに両断された。
「よし、二日酔いはともかく、体の方は完全に回復した」
タナトスは満足げな笑みを浮かべる。
もっともそれは、ルーファスやクロスのような親しい人間にしか解らない、僅かな表情の変化だった。
「あっちゃ〜、姉様、大木真っ二つにしちゃって……フローラに怒られるわよ」
声と共にクロスが姿を現す。
「クロス、朝……昼帰りだぞ」
タナトスは大鎌『魂殺鎌』を掻き消すと、クロスの方に向き直った。
「ごめん、姉様。といっても、隣に居たんだけどね」
「エンジェリック家か……フローラも一緒か?」
「うん」
「……そうか」
ということは、昨夜は我が家には自分とルーファスしか居なかったわけで……自分の貞操はかなり危なかったのかもしれない。
ルーファスにその気があったら、もっともそういうこと邪魔してくれる存在であるクロスも居なかったわけで、悲鳴を上げても助からなかった?
いや、本気で悲鳴を上げれば隣まで聞こえたか?
そもそも、もしそんな展開になったら、自分は悲鳴を上げたのだろうか? それとも……?
「……で、姉様、そのふざけた男がね」
「……あ? ああ」
タナトスが自分の世界に行っていた間にも、クロスは何か話していたようだ。
「というわけで、姉様、つきあってくれるわよね?」
「……あ、ああ?」
何の話か解らないが、つい生返事してしまう。
「ホント? 嬉しい! 流石、姉様、大好きっ!}
クロスは勢いよくタナトスに抱きついた。
タナトスはクロスに抱きつかれることに慣れていたので、優しく受け止め、頭を撫でてやる。
「……で、どこにつきあえばいいんだ?」
「美しき死の谷! 秘境クリスタルバレーよ!」
クロスはとても無邪気な笑顔でそう答えた。



クリスタルバレー。
その名が示すとおりクリスタルのような透き通ったモノでできた渓谷である。
幻想的ともいえないこともない美しさを持ちながら、傾斜や、天候の急変の激しさなどから、美しき死の谷とも呼ばれ、誰も近づかないクリア国の秘境の一つだった。
「……ていうかさ、これってホントにクリスタルでできてるの? それとも氷?」
クロスは実際に透明なモノに触れてみる。
「……さあな、ルーファスでも居れば、説明してくれたかもしれないが……」
「興味深いから少しもって帰ろうっと」
触っても正体が解らなかったのか、クロスはナイフで壁面を削りだした。
「ルーファスはともかく、誰か連れてきた方が良かったかもしれないな……」
たった二人で来たのは少し無謀だったかもしれない。
「駄目よ、せっかく姉様と姉妹水入らずで宝捜しだというのに、余計な邪魔虫はいらないわ」
……といったクロスの主張に基づき、二人だけでやってきたのだった。



「ほほう、ちゃんと地図通りの場所に洞窟があるじゃないの……信用おけない男だったけど、情報は本物みたいね」
クロスとタナトスはどんどん洞窟の奥へと進んでいった。
「……スレイヴィアの洞窟とは違うな、正真正銘、自然にできた洞窟のようだな……」
「まあ、トラップや迷路作ったりしなくても、クリスタルバレーにあるってだけで充分隠し場所になるだろうしね。あたし達は魔術であっさり来たけど、普通の人間だったら、この洞窟の場所まで来るのは至難の技だろうし……この地図がなかったら、例えクリスタルバレーを簡単に歩き回れる人間でも、見つけるのはまず無理だろうし……」
それ程解りにくい場所に洞窟はあった。
さらに、そこまで来るには、浮遊なり飛行の魔術、豪雨や嵐に対する魔術も必須だったのである。
「クリア国は常に空中を移動し続けているから、座標認識での空間転移で一気に飛んでくるのは不可能だしね……まあ、七霊魔術師に過ぎないあたしは人外的な空間転移なんてどうせ殆ど使えないけど……」
「ついでに言えば、結界もあるからな、クリアの外から中に空間転移は人外の存在でも不可能だ……」
クリア内での転移は不可能ではないが、座標が役に立たないため、ランダムで適当に飛ぶか、誰かの気配を感知しその場へ飛ぶタイプの転移しか使い道がなかった。
「つまり、今回はファントムの奴らとかと出会うこともあるまい……正攻法でクリアまですでに来ていたでもない限りな……」
「大丈夫よ、姉様。ファントムに限らず、こんな所に先客なんているわけ……」
『……ところが、物事には例外というものが必ず存在するものです』
背後から、艶やかな女の声。
クロスは反射的に前に跳びだし、間合いを取りながら背後を振り返った。
首筋に息を吹きかけられたような感覚、それ程の近くまで接近を許した……いや、そこにいきなり出現したのである。
そこに居たのは闇が人の姿を取ったかのような存在。
闇色の髪と瞳、漆黒の唇、フリルやドレープが多用され、袖には全てレースが付けられ、細く長いリボンを要所にあしらった黒一色の洋服、頭部にはヘッドドレス、首にはリボンチョーカー、手にはサテンの手袋、ロングのスカートはパニエとドレープで最大限に広げられ、厚手のタイツに厚底でスクエアトゥなブーツ、徹底的に露出を避けたファッションをしていた。
少女は見る者に、可愛らしさ、不健康で退廃的な魅力、そして妖艶な色気を同時に感じさせる。
ああ、これは確かゴスロリとかいうちょっと変わった趣味のファッションだ……などと雑学を生かしたツッコミをする余裕は今のクロスにはなかった。
クロスが見て……いや、感じているのは少女の服装でも容姿でもない。
もっと根本的な部分、少女の存在そのものを悟り、恐怖を感じにはいられなかった。
つい最近、これと同じような存在の片鱗に会ったことがある。
だからこそ、クロスはかなりの確信を持って次の言葉を口にした。
「……魔王……」








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